荒瀬ダムに対する坂本町の訴え
「撤去して!」の意見相次ぐ!
去る11月7日(土)荒瀬ダムに関する知事の公聴会が坂本町公民館で開催されました。押しかけた約200名の町民からは「ダムを撤去してくれ」という意見が相次ぎました。以下、その意見要約です。※長文です
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知事挨拶:6月4日の凍結発言以来多くの議論があった。水利権を更新するのであれば、タイミングが判断のぎりぎりだった。凍結理由はひとえに財政難。そのまま行けば、県は破産するするので、すべての事業を見直す。いろんな意見を聞いた。今悩んでいる。長い間撤去を待ち望んだ人の気持ちと、県が破産することのどいらを選べばいいのか。50年の歴史を振り返り、いろんな意見を聞いて、県が十分に対応してきたのかに疑問がある。今日はみんなの意見を聞いて、判断材料にしたい。
意見1:6月4日発言してきた時に、この地域に水害があるということを知っていたか。ダムによる辛い過去を知っていたら、6月4日の発言はなかったのではないかと思う。みんな電気事業のために協力した。
川辺から離れた八代市との認識にはずれがあると思う。ここの問題は災害1本。これを何とかしないとと潮谷前知事が判断した。川縁に住む者にとっては、川は命。球磨川は財産。それを取り上げられたらたまらない。魚はいなくなり、赤潮、アオコが発生する。環境破壊が出ている。今決断しないとだめ。撤去しかない。水害者が誇れる判断を仰ぎたい。
知事:この問題について、鎌瀬地区のことが念頭にあったかと言われたが・・・水没地帯があったことは知っていた。その後説明を受ける度に、鎌瀬の名前がでてきた。企業局に何もしてこなかったのかと怒った。今回来て、道路も使って逃げ場がないこともわかった。存続する場合はそういうことがないように、家、道路のかさ上げ、堆積した砂の撤去を徹底する。水害の苦しみを繰り返してはならないと決意した。川辺川ダムの判断も環境問題から。お金があればスカッとするのだが、お金がない。
意見2:(坂本地区住民)私たちはダムと53年係わってきた。その時代の背景を考えると、必要であったというのは理解できる。しかし、当時の説明が出鱈目すぎて、造ることが目的だったことに腹がたつ。「下流の水害もダムをつくることで解決する」「観光に役にたつ」「電気料金も安くなる」「ダム湖は釣り堀になり、観光客がいっぱい来る」と・・みんなダムは経験もないのでみんな信じて、賛成して、例がないスピードで作り上げた。
10年たって、疑問をもった。話が違うことを実感した。ダムがもたらしたもので利は一つもない。川の魚もそうだが、当時7年あった旅館はみんななくなった。釣具店も一軒もなくなった。損失は計り知れない。アユ漁師はみんなやめて、日雇いなどになった。水害の在り方そのものが変わった。ダムができるまで、どんなに大きな水害でも、後に砂が残るだけで、次の日から普通に生活できた。これは人的な被害。坂本にとって、利になるものは一つもなかった。1日も早く撤去してほしい。
荒瀬・瀬戸石について64年に知事あてに建設省の通達が出されている。第2種に分類され、ダム湖の堆砂により上流の水位が上昇する恐れがあるときには、水利権の更新時には対策を講じないといけないとなっている。増水時に水害のおそれがあるときには、早めにゲートを全開するなど対策を取りなさいと・・・しかし、そういう対策が取られたことは一度もない。
知事:洪水が来そうなのに水を放流したことがないと聞くと、胸が痛む。企業局はなるべき水を貯める―儲け主義できたのではないか。継続するなら電気事業は二の次にする。下流に水が必要なら流す。あまりに県が電気にとらわれすぎたことに問題がある。利水、治水、発電にも対応できるようにする。
53年ダムがあって、誰一人擁護する人がいないことに驚く。安全、安心―道路のかさ上げを含め、今よりも水質が格段に良くなるようにする。環境も最優先にする。
企業局長:堆砂があると河床が上がるので、必ず取る。しかし、発電ダムで許可を取っているので、市房ダムのようにはいかない。洪水の時は許可の範囲で水位を下げる。
意見3:(昔は水害がなかったところ)川に一番近いところに住んでいる。建設当時、満水位+1mまでしか水がこないと言われ、反対しなかった。これは昭和40年水害の時、何軒もの家が流された。手出しをするとか、貯金を崩すとか、自分たちで対処するしかなかった。私たちより高いところに住んでいる人は、かさ上げが住んでいる。なぜ補償が違うのか。企業局に県議と一緒に行ったら、「検証する」というので、6ヶ月後に行ったら、「そんな約束はしてない」という。テープも取ってあるのに。
水位設定線の黄色線の範囲に家があった。しかし、40年水害は天災として、責任逃れをした。撤去するにしても、存続するにしても過去の清算をしてからにしてほしい。
知事:さっそく勉強させていただく。
意見4:(アユ漁師)平成14年12月撤去が決まり喜んだ。球磨川が再生されると。子供と球磨川で遊びたくて環境学習をしている。6月4日に知事が発言した時、「それは不可能だ」と思った。水利権は住民にあり、それを国が代わって県に許可しているだけ。その水利権は「発電に水を使っていい」という規則。それで許可される。平成15年水利権規則には「球磨川における水使用は別記により、許可する」とあった。水利規則の第7条に、「平成22年3月に期限がきれる」と、19条に「発電をしなくなったら、権利は失効する」とあり、更新については何も書いてない。「7年後には放棄する」と書いてある。河川法は基本法。水利規則に違反することは知事といえどできない。切れる前に、継続を発表するなら55条に触れる。それは知事であっても法は変えることはできない。50年間何もしてこなかったので環境が破壊され、撤去しかない。
堰堤より3km下流に住んで、水位の変化を見てきた。発電量は水位の変化による。30トンの変化が1日1m以上変化する。午後2時がピークで、その後低下する。アユの産卵は夕方。しかし、夜は水が引いて、朝からは日が当たっているので、産卵してもなにもならない。水生昆虫も水位の変化についていけない。
私は昔知り合いには「お金はないが、ホタル合戦と鮎の味はどこにも負けないので、その時期に遊びに来て下さい」と言っていた。結局川の生態系はなくなり、鮎は放流によりなんとか生き残っている。漁協は毎年5000万かけて放流している。荒瀬が一番の原因。水質も河口に近いので回復しないまま海に入る。撤去されたら回復する。水位を下げるだけで回復する。撤去費用云々ではない。
意見5:(百済木地区)荒瀬ダムのせいで川がしょうゆ色に染まる。財政問題は坂本が造ったのではない。県や三位一体改革などで国が造ったもの。多額の税金の無駄遣いをしてきたのは県。県がつくったものを坂本におしつけないでほしい。
意見6:(鮎帰地区):大平発電所の下流に住んでいるので、毎日ダムができるとどうなるのかみている。今日は、自然をどう受け止めるか、公務員はどうあるべきかという視点で意見を述べる。
8月6日に恵風園の盆踊りにいって、納骨堂に参拝して、たちすくんだ。Mさんという人がうちに何度も来てたが、歩けなくなったのでと言って、「渓流に鮎釣る影の絵のごとし」という俳句を送ってきた。知事が鮎を釣る人を見て川辺川ダム中止を決めたと言っているのを聞いて、思いだした。足尾は古川社長が渡良瀬川を見て、「このあたりは景色がいいが、景色は一文の価値もない」と言った。そういう価値観が事件を起こした。
公務員は知事の意見に従うのではなく、住民のサーバントである。長いスパンでとらえることが大事。アメリカにはサリドマイドがなかった。担当課長が体をはってとめた。そこに真のサーバントを見る思いがする。企業局は財政などとは別にして、ダムを残すとどうなるか考えてほしい。
高一の時にダムができた。増水のたびに手伝いにいった。また、大平ダムの下に住んでいるので、ダムができるとどうなるのか知っている。以上判断材料にしてほしい。
意見7:(百済木地区):今日は足が震えている。平成14年12月10日の県議会の時も同じだった。潮谷知事がどう答えるのか必死できいた。坂本がどんな思いをしてきたのか、知ってほしい。水力発電は必要と言われたが、水力発電ダムはマイナス面が大きすぎる。歴史を検証しないと前に進まない。昭和27年に振興局ができて、29年に発電を始めている。昔20630名いた人口は今年5040名になっている。73部落のうち30部落は小学生が一人もいない。ダムがあるところはみんな同じ。アユも昔は13500貫-50トンぐらいとれていた。
平成14年県議会が10の提言をした。生活の利便性の向上や、資料を残すなど楽しみにしていた。
意見8:(鎌瀬地区)6月4日の凍結発言のあとの20日水害にあった。一晩中起きて、30分おきにメジャーをもってでかけ、川とにらめっこしている。そういうのを見に来てほしい。我が家は陸の孤島。前も後も激流。夜でなくてもいいからヘリコプターを飛ばして見に来てほしい。この30年間に両手以上の数の水害にあった。住民は高い所に移転できるが、我が家は商売をしているので、無理。今60歳、どうにか後片付けはできる。ダムができる前はそんなことはなかった。うちは道路より1m高かった。今は道路が1.5mかさ上げされ、我が家も2mあげた。しかし、水害にあった。雨が降るたびににらめっこしながら、一睡もできない。ダムは必要ない。12月は撤去の決断をしてほしい。
意見9:(大門地区):大門地区は高い石垣の上に農地と家がある。毎年水害でつかる人がいるので、発電所の開閉と同時に手伝いにいく。開門時には波が立って来る。ダム下流に工場があるが、50年前に瓦礫を埋めた。産廃を埋めて、遊水であったところを狭くしたので、流れが速くなった。石垣が壊れないか脅威を感じている。発電所を造ったところも川にせり出しているが、これも水門の外に埋め立てたもの。
この前の避難勧告が出た時に、流木とゴミが舞い上がって、80才の人が避難できなかった。ダムを撤去してほしい。
意見10:地域対策について述べたい。存続と撤去費用の差は40億。継続の場合には地域対策費が一つも計上されていない。ダムを造る前は中津道は全く浸水しなかった。ダムの影響ということを頭にいれてほしい。平成16年4月8日坂本村議会に県が災害記録を出した。補償の種類がかいてあり、数年間で計675軒に補償している。この数年間以外にあるということ。
撤去が決まった時、もろ手をあげて喜んだ。「一度立ちどまって考える」のは政治家としては当然だが・・。存続には地域対策費を計上すべき。五木の振興策とは雲泥の差がある。基本は一緒ではないか。
意見11:「球磨川を残してほしい」という昔の川のイメージができるか。魚が多かったというのはその通り。小学校からかえると鮎、ウナギと捕った。父親が捕るのは売り物で、夕食のおかずは子供がとった。小学校6年間、中学校3年間の遊び方はみな上級生が教えてくれた。親よりよく教える。自分もあそこまで泳ぎたいというと、上級生はみなその実力を知っているので、「もう少しうまくなってから」と適切に指導をする。子供たちの生きざまは良かった。
撤去が決まって、5年間委員会に参加した。5年経過して凍結発言。唐突というより乱暴に思った。せめて事前に話をしてほしかった。
発電事業は二の次というが、それで実現の可能性はあるのか。財政優先で地域は耐え忍べというのか。22日は大集会をするので、知事も参加して、みなの意見を聞いてほしい。
※傍聴しながら、手書きのメモですので、発言そのままではなく、また聞き間違いがあるかもしれません。
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