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2011年10月10日 (月)

球磨川河口干潟のハクセンシオマネキ 勢力拡大

南川河口の干潟変化

球磨川河口の干潟といっても、球磨川が球磨川、前川、南川と分流して不知火海に注いでいるために、とても広い範囲に干潟が及んでいます。10月9日は南川の干潟に行ってみました。この前、ちょっとみたらハクセンシオマネキの生息域やヨシ原の拡大、また砂利が増えるなど干潟の形状が変わっていましたので、きちんと確認するためです。

Photo

写真は干潟の一部分です。およそ、人が長靴で入れる部分の半分程度です。半年程前と大きく変わっていました。

・干潟の奥に見える白い部分は、以前はコメツキガニが優先していましたが、今は砂利層になっていて、厚みもかなりあります。

・その下の黒っぽい部分は、ヤマトオサガニの生息域でしたが、今は半分ぐらいをコメツキガニが占めています。

その他にも

・以前、シオマネキが生息していた泥干潟の部分の半分はヨシ原が侵入し、残りの半分は殆どハクセンシオマネキが優先し、シオマネキの数が格段に減った。

・護岸近くの泥っぽいところは、フトヘナタリが優先していたが、3分の2近くがコメツキガニの生息域に変わっている。

ここは、10年近く毎年見ているところです。ここ1年の変化は劇的で、荒瀬ダムゲート全開以外の理由は考えられません。

P1030907 ↑遠くてはっきりしませんが、オオセグロカモメでしょうか?干潟では大きな群れが休憩中でした。

P1030840vs P1030841vs

↑体格が全く違うにも関わらず、シオマネキ(左)に果敢に挑むハクセンシオマネキ(右)。間合いを測るように距離をおき、ハサミを素早く出す・・その様子はフェンシングの試合のようです。

干潟のあちこちでハクセンシオマネキとシオマネキの生息場所が重なっているところが見られます。以前は住み分けがはっきりしていました。結構あちこちで、縄張りをめぐるぶつかりが見られました。しかし、体の大きさでは勝っているシオマネキですが、自然の変化は現時点では、ハクセンシオマネキにとって有利です。

P1030913 ↑おびただしい数のハクセンシオマネキ。数万単位で生息していると思いますが、一度きちんとカウントしてみたいと思います。

P1030958↑広がるヨシ原。マングローブ(右)の付近から先は泥干潟でした。左手の植物はハマサジです。

P1030792

←ハマサジの花。海岸に特有の植物です。マングローブは、生き物の生息環境創出のためと称して、過去人の手で植えられたものです。日本の生態系を無視したこういう手法は考えものです。

P1030888←以前はフトヘナタリ、ヤマトオサガニが優先していましたが、ここもハクセンシオマネキに乗っ取られてしまいました。P1030799 (↑フトヘナタリの顔)

P1030898 ↑以前はヤマトオサガニやコメツキガニの生息域であった泥質や砂質の部分に、出現した砂利の堆積で、かなりな広さがあります。ヨシも侵入し始めています。

P1030742 P1030998

↑しかし、まだトビハゼ(左)もムツゴロウ(右)も健在です。

自然に形成される干潟には、泥っぽい部分から砂泥質、砂質、砂利など多様な環境が混在するものと思われますので、ムツゴロウやヤマトオサガニの生息環境がなくなるとは思えませんので、健全な形に移行していくものとは思っています。事実、この地区のムツゴロウはダム建設前も確認できていたところで、その後消失し、10年ほど前からまた確認できるようになっていたところです。

しかし、荒瀬ダムの撤去が干潟にどのような変化をもたらすのか、今後も注意深く観察していきたいと思っています。

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コメント

良い写真ですね。

投稿: 山本茂雄 | 2011年10月14日 (金) 22時57分

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