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2010年2月13日 (土)

坂本町の住民が何故荒瀬ダムの撤去を望むのか

clover坂本地区にお住まいの本田進さんのお話

昨日、熊本市において、川辺川を守る県民の会の主催で、荒瀬ダムに関する学習会がありました。その中で、坂本町の村の中心地区にお住まいの本田進さんが、「坂本町住民は何故、知事がもったいないというダムを壊してほしいと思うのか」ということについて、お話をされました。本田さんは、蒲島知事が存続を決定したとき、昔ひどい被害にあった時よりも、苦しい思いをした」と述べられました。そのHさんのお話の紹介です。Ca3c0116s

clover「一番の浸水地区に家が増えていった」

坂本地区が坂本村の中では一番の繁華街だった。一番水害―水害という言葉はなかったが、浸水の常襲地帯だった。住民はほぼ100%二階建ての家を建てていた。出水した時は、いかに家財道具や建具を早く撤去できるか家の構造の工夫をしていた。常時浸水するにしても、被害を受けるようなものではなかった。水害に遭いながらも人家は増えていった。村の基盤産業である製紙工場もあったので、商売でも賑わっていた。村の経済はこの地域から生まれていた。

当時は村の中に7軒の旅館があり、川の恵み―鮎を中心として営業を行い、それなりにみんな経営を楽しんでいた。

clover「ダムができて、状況が一変した」

昭和30年にダムができて10年間は不思議に水害はなかった(たまたま雨が少なかったことはあとで分かる)。ダムが出来るときに、「ダムをつくることによって浸水はなくなりますよ」と聞いていたので、みんな「ダムができて良かったばい」と思った。それが、昭和40年の水害で一変した。家から道路からヘドロが埋め尽くした。ダムの恐ろしさを知った。それまで、1年に1度ぐらいの大掃除で、家もきれいになってよかったと、水とのかかわりを帰って楽しみにするぐらいであった。だから、家も増えていった。

昭和40年はそれまで経験したことがないぐらいのヘドロがたまった。その状況を見て初めて異常さに気がついた。県に「これは人災だ」と申し入れをしたが、「それは全く違います」「因果関係は分からない」と取り上げなかった。地元の議会や行政も全く反応がなかった。個人個人で悩んでいても仕方がないので常襲地区の二つの町内で「水害から守る会」をつくった。県や地元と話し合ったが、効果はゼロで役に立たなかった。Photo

clover「昭和53年は、さらにひどい水害が起こった」

昭和40年後小さな水害はあったが、10年後の昭和53年にまた大水害が発生し、昭和40年を上回る第被害にあった。その間の10年間にヘドロはさらに蓄積されていたので、40年とは比べ物にならないぐらいだった。昭和40年が50~60センチ、ひどい所で1mだったが、その倍ぐらいのヘドロが流れてきた。それこそ立ち直ることができないぐらいの被害で、特に商売しているところは惨憺たる状況だった。そのための復旧の援助も国からはなかった。同じ年に熊本市も水害があり、1軒あたりの被害は少なくても面積が広いので、国からの支援が下りたが、坂本は被害は酷いが、被害軒数が少ないので救済に結び付かなかった。みんな自分で修復した。

clover「撤去してほしかったが、方法がない」

昭和53年の水害を機に、撤去してもらわないと困るという機運になってきたが、その方法は分からなかった。優れたリーダーもいなかった。「テッキョ、テッキョ」とお経のように訴えるだけであった。そういうところに漁業組合(任意団体)が地元の議会に働きかけをしたが、議会は全体の民意にはなりにくいというので、町全体を巻き込んだものにしていこうということになり、自分たちの守る会と一緒にして、「荒瀬ダムの撤去を実現する会」をつくった。それから県民も巻き込んだ運動になった。それまでには、悶々とした長い歴史があった。

潮谷前知事が「ダムを撤去する」と言ったときは本当に涙を流して喜んだ。それが、蒲島知事になり180度変わり、その時の奈落の底に突き落とされた思いは、水害の時に苦しんだもの以上に苦しいものだった。一日も早く撤去が実現するように、皆さんの知恵を借りて、大きな相手に立ち向かっていきたい。

※坂本町で開催された県の説明会時の、本田さんのお話(平成20年11月9日中津道教育センター)も参考にしてください

本田さんの話は、球磨川の流域でダム建設後の水害常襲地に住む皆さんのお話に共通するものです。みんな「自然が起こす大水は、天気や水の増え方を見て予測ができるので、対策ができるが、人の操作でゲート開閉がされるダムが起こす水害は予測がつかないので、対応ができない」と言われます。ダムがない時は、家を失うことなく、川のすぐ傍で、100年以上にわたって暮らせてきたのに、ダム建設後は頑丈な堤防に川から隔てられて守られて暮らしているようなのに、家も家財道具も失うような水害に変わったということも共通しています。

今日の天気:cloud

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