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2009年12月28日 (月)

荒瀬ダムの放流による振動被害

oneダム建設直後から始まった振動被害

下村勉さんは旧坂本村荒瀬地区、荒瀬ダム堰堤のすぐ傍に、ダム建設前からずっと住んでおられます。

建設前に、時の沢田一精知事が、村にきて、「村は観光で潤う」「魚も放流事業により増える」とバラ色の説明をおこなうので、下村さんも他の村民同様、完成するのを心待ちにしたといいます。

昭和30年4月に運用が開始されますが、5月に入って大雨がふります。夜勤明けから坂本に戻った下村さんは、ゲートから放流されるすごい音にびっくりし、ダムの堰堤にいくと、その想像以上の振動に「ダムとは、怖いもんだ」と思われたそうです。そこに、県の職員が来たので、聞くと、「このダムは重力式コンクリートダムなので、ぶれないと(振動しないと)壊れる」とあたかも、正常であるかのような説明を、轟音と振動の中をしたといいます。P1050120s_2

  家の中では、振動で家中の襖や障子など家中の建具がゴトゴトと音を立てていました。これが振動被害の始まりです。夜中に放流がある時は、朝まで眠ることができません。冬が近づき寒くなったので、布団を出そうとすると、布団は水にぬれ、かび臭くなっているのを見て初めて、屋根瓦がずれて、そこから雨漏りがしているのを知ります。そのうち、欄間の上の壁に亀裂が入るようになりました。下村さんのよく手入れされた日本風の庭にはりっぱな池があるのですが、水が入っていません。なんどやり変えても、そのうちひびが入り、水が抜けてしまうので、あきらめたそうです。

two地区住民の訴えに、耳を貸さなかった熊本県 

荒瀬ダム地区の32件殆どが、建具の揺れによる被害、お風呂のタイルやコンクリートが割れる、瓦がずれたり、落ちたりするというような被害を受けています。一番ひどい被害を受けたのは、荒瀬地区のの上手にある山下さんのおうちです。鉄筋立ての外壁に張ってあるスラブは殆ど落ちてしまいます。S

お上がすることには、ものが言えない時代です。最初のころは山下さん以外、被害を訴え出るものはいませんでした。それを変えたのは、下筌ダムの闘争でした。「国相手に運動してもよかっだろうか」と思ってみていた地区の人の意識をかえることになりました。それから、地区の32件で振動被害者の会を作り、県との交渉を始めます。県は調査にはくるものの、家のひび割れを見ても、「大型車が通ることによって起こる“風圧”によるもの、屋根瓦のずれについても、「強い風によるもの」と、ダムの影響を認めることは決してありませんでした。諦めずに何度も交渉に出向くと、そのうち担当者が代わり、「前任者から聞いていません」と、初耳のような受け答えをします。また最初から、被害実態を訴える・・こういうことの連続だったといいます。

three道路改修や魚道設置によって、振動は軽減されたが・・・

被害が一番ひどかったのは、昭和30年代から40年にかけてでした。その後十字ブロックをいれたり、道路改修の際に護岸を補修するなどして、少しは改善されました。さらに、平成に入り、左岸に魚道が建設されることになって、基礎工事の際に深く掘って、コンクリートを流しこんだ結果、かなり改善されたといいます。

「魚道としての役目はしとらんばってん、振動を抑えるつっかえ棒になった」と魚道の効果を、皮肉をこめて、村の人たちは話しています。しかし、昔ほどひどくないものの、今も夜間放流があると、障子はゴトゴトと音をたて、眠れないのは、昔と変わりありません。      

下村さんは、ダム建設前からアユ漁も行ってきており、アユ漁やその関連産業の盛衰をずっと見てきました。また、下村さんの人生の3分の2以上は振動被害に常に悩まされてきました。「もう、球磨川を私たちに返してくれ」という坂本村の方たちの叫びを、下村さんの深く刻まれた皺に中にも、感じ取ることができます。

今日の天気:suncloud

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