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2008年11月12日 (水)

ダムが出来てからひどくなった水害(1)

ダム建設の前と後の水害・・・旧坂本村住民の聞き取りから             

 荒瀬ダムの下流にある坂本橋の袂、球磨川の右岸にHさんは荒瀬ダムが建設される前から住んでいます。現在の家は、荒瀬ダム建設後、1m程嵩上げされています。荒瀬ダム建設前から、1年に一度は浸水する水害常襲地でした。というより、害はありませんでしたので、水害常襲地という言葉は当てはまりません。

Hさんの家の前の道路は、昔県道と平行して、坂本駅から十条製紙に繋がるトロッコの線が走っていました。トロッコは、Hさんの家の前を通り、油谷川の合流点の前で、油谷川に沿って、右にカーブし、十条製紙までレールが引かれていました。Hさんの家は、旧坂本村の中では、比較的最後に浸水する場所でした。一番ひどいのは、油谷川との合流地点に位置する坂本地区(大字坂本)でした。Hさんの家が、1m程度浸水している時は、ここは2階まで浸水している、また、Hさんのところが1年に一度浸水しているときは、坂本地区は4~5回は浸水しているという感じです。

Kyuusakamotomura_2 現在は、坂本橋を渡った付近が一番の中心地になっていますが、ダムが出来たころは、この坂本地区が、一番にぎわっていた場所です。十条製紙に通う人たちが、買い物して変えたりするので、いろんなお店もここに集まっていました。また、坂本村内の旅館の半分はここにありました。といっても、4~5軒です。

 坂本の昔の家を見ると、殆どが2階建てです。これは、水害に対応するために、自然にそうなったようです。大事なものは、殆ど2階においていました。1回部分の畳の床板は、普通の家よりも厚めのもを使用してありました。柱なども、水に強い松が使用されることが多かったようです。

 空の様子や、水嵩の増え方で、浸水するかどうかは、時間も含めほぼ正確に予想できました。箪笥の引き出しをみんな出すと、丈夫な床板の上におき、テーブルや横にした箪笥を置くと、その上にまた丈夫な床板を乗せ、その上に畳や引き出し、家財道具を乗せます。

 2階部分まで来ると予想すると、殆どの家に作られていた、2階までの通路(1畳ほどの吹き抜け)を利用して、家財道具を2階に直接引き上げていました。階段を利用するのは大変だったからで、家によっては、滑車なども取り付けていました。

 また、家に対する抵抗を出来るだけ小さくするため、雨戸やガラス窓、障子などもみんな外しました。それを紐で束ねて、柱に結びつけ、水にプカプカ浮かせるようにするのです。水が引くのも昔はゆっくりでしたから、流されることはありませんでした。障子などは、水に浸かるときれいに紙が剥がれるので、あと貼りかえるのも楽でした。どこの家でも、正月に障子は貼りかえるのですから、坂本はそれを大水時にしていただけとHさんは笑っていいます。

 水が引く時に、残った砂を箒でササッと掃きだして、上げた家財道具をもとに戻します。「やはり大変ですね」と聞くと、「まあ、上げる時はみんな手伝いにくるので、さっと準備ができるが、片付けはどこに戻すかなど、やはり分かっている家のもんがしないといけないので、時間は上げる時よりかかった。しかし、そんなもんだと思っているし、駄目にするものはなかったので、傍らで見るほどではなかった」といわれます。また、きれいな砂は利用価値もあり、コンクリートを作るのにそのまま利用できるほどだったそうで、Hさんは川が運んでくれる恵の一つだったと言います。大水に対応できる知恵が長年の間にできており、被害を最小に食い止めていただけでなく、川のめぐみを得る機会と捕らえることができていたのです。

         

 荒瀬ダムが出来てからの、泥の堆積が如何にひどくなったかは、トロッコの線が一番良く分かるといわれます。昔は水が引けば、すぐトロッコが走り始めました。しかし、建設後は、上に泥が堆積し、重機を何日も投入して、経費も大変になったようです。十条製紙も、日常的に浸水するところに建設されていますが、紙は水に浸かっても、また再生紙として利用できていたので、被害額はそう対したものではなかったといいます。

Sakamotosuigaigo_3  一般の家も、ダム建設後は、堆積した泥の処理に一番悩まされました。普通で3050cm程、ひどいところは1mぐらい、それも家の中に貯まるのですから、たまったものではありません。また、水が引くスピードも速いし、量も多く、重たいので、一緒に掃きだすとこはできません。1日おくと、コンクリートのように固まってしまいますので、つかれた身体に鞭打って、泥の処理をしなくてはなりません。後の家財道具も使用は不可能になったといいます。荒瀬ダム建設後の出水は、「水害」となったのです。商売するところも、それまでは水は引くと、後片付けをしながらでもすぐ商売ができましたが、ダム建設後は何日も営業が出来なくなり、すべてを失ったところは商売そのものを諦めざるを得なくなりました。

 部落の中でも、裕福な人たちは、高いところに家を建て、個々で井戸を掘って暮らしている人もいたようです。水を得やすい川の近くに家を立てざるを得ないという事情があったにせよ、家も命も失うかもしれないところには、家を建てるわけがないでしょうという、Hさんの言葉は、大水と共に暮らせた昔を証明しています。 

 また、そこしか暮らす場所がなかったというより、2階まで毎年浸かるようなところが坂本村で一番の繁華街になっており、大きな工場も進出したということからしても-本当に驚きですが、洪水が被害を与えるものでなかったことの証です。現在、その地区は9mも嵩上げされています。

 現在、旧坂本村内には、未だに洪水に見舞われる地区が5~6箇所ありますが、どこも荒瀬ダム建設後特有の被害がでる洪水です。ダム建設後の洪水は、スピードも質も全く違うので、昔から伝承されてきた「大水と共に暮らす知恵」も何も約に立たないことは言うまでもありません。

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