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2008年11月23日 (日)

荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会

club私たちに球磨川を返して!坂本町で集会開催

このところ、ぐずついていた天気とは打って変わった今日の青空のもと、八代市坂本町のグリーンパークにおいて、「荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会」が開催されました。

Sekizyoudaiko 坂本の山々に響き渡る、東陽町の郷土芸能「石匠太鼓」の演奏から始まった会場には、約800人ほどの人々が集まっています。

続いて、実行委員長の元坂本村村長の木村征男さんがこれまでの経緯を報告、蒲島知事に「撤去を実現し、球磨川の清流と不知火海の再生を取り戻してほしい」と蒲島知事へのメッセージを述べると、その後様々な立場の人たちから撤去のスピーチが続きます。Sakamotosyuukai

水害に50年も苦しんできた地元、対岸の樋島漁協組合長、チリメンジャコ漁をする漁業者、同じ不知火海の汚染に苦しんできた水俣病患者会の人たち、イ草農家、県営路木ダム建設に反対する団体代表、球磨川河口を魚場とする八代漁協の代表たちが「建設後ひどくなった水害に苦しんできた。撤去してほしい」「撤去前提で前回の水利権更新は行われた。知事といえども水利規則に反する行為はできない」「不知火海に生きる私たちは絶滅危惧種だ」「水俣と同じ過ちを八代海で繰り返してはいけない」「いらない路木ダムに使う費用を撤去費用にまわすべき」と、荒瀬ダム撤去を実現してほとと訴えました。大会宣言文案が読みげられ、最後は球磨川漁協の組合長や組合員、この日の発言者がステージに上がり、組合員の吉村勝徳さんが「荒瀬ダムを撤去して、球磨川を取り戻そう」と会場に呼びかけました。会場に詰めかけた参加者の声は、坂本の山々にこだましながら、蒲島知事にも届いたことでしょう。

             集会宣言文」

 50数年前まで球磨川や不知火海は、私たちに様々な恵みを与えてくれました。私たちの生活は川や海と共にあったといっても過言ではありません。しかし、荒瀬ダムがこの地に出来てから様相は一変しました。
 ダム湖の水位上昇やダムの放流による水害の頻発、水質汚濁、ダム放流による水位変動を原因とした鮎などの激減、そして悪臭や騒音・振動問題、藻場や干潟の消滅に伴う魚介類の減少。ダムは恵みの川や海の姿を一変させました。
 私たちがこの半世紀の間に気付き、そして確信していることがあります。それは、「ダムは百害あって一利なし。川は、水が流れてこそ川」ということです。私たちは、これ以上ダ
ムのある川で生活することに耐えるつもりはありません。
 荒瀬ダム撤去は、地域住民・議会・行政が三位一体となって勝ち取った長年の悲願です。一つ一つ合意を積み重ねて決定されたものであり、当時の熊本県知事や熊本県議会が地元に約束したものです。熊本県は荒瀬ダム撤去という決定を尊重すべきであり、実施する義務があります。ダム建設という行政の行為が、住民にいかに悪影響を及ぼしたかという点で、議論の余地無く撤去すべきものです。一時的な思い付きや財政問題のみで住民の生活・なりわいを壊していい訳がありません。ダム撤去費用が不足するなら工面してでも手当てすべきです。
 球磨川の源流域から不知火海に至る豊かな水の流れと生き物たちの営み、それら全てが私たちにとって守るべき宝です。
私たちは再びその宝を自らの手に取り戻すために立ち上がります。私たちの行く手を阻むものがあっても、私たちは、絶対に引き下がりはしません。ダム撤去を勝ち取るまで、私たちはこの闘いを続ける覚悟です。なぜなら、私たちは自らの生活とこの地域を守り、次世代に引き継いでいく責任があるからです。
 私たちは荒瀬ダム撤去を実現し、豊かな球磨川・不知火海を復活させていくことをここに宣言します。

2008年11月22日 荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会参加者一同

※大会宣言文は、25日午後2時に蒲島知事に提出予定です。

今日の天気:sun

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