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2008年11月28日 (金)

撤去への努力を続ける責任

「存続」前提でも、撤去の可能性を模索するべき

    ―蒲島知事へのメッセージ―

 27日の存続表明は予想されていたとは言え、一縷の望みを抱いていただけに、発表を聞いて、やはり力が抜けてしまいました。6月4日に凍結発表をされた時は、財政問題だけを存続を決定する物差しにしていた知事に、確かに別の物差しも手にされていたように見えたからです。潮谷前知事も蒲島知事の決断に「本当は荒瀬ダムを撤去したかったのだと思う」「本心とは違う選択をしたのだろう」と蒲島知事を思いやるコメントを寄せられています。また、一方で、工夫次第で撤去費用を捻出できる可能性を元知事として示唆されています。蒲島知事は昨日の記者会見で、「いつとは言えないが、財政の事情が許せば撤去したい」と述べておられ、「本当は撤去したい」というのが、本心であれば、水利権の申請書を出すぎりぎりの日まで、撤去費用をどうしたら捻出できるが、あらゆる努力をするべきだと思います。

 知事に就任して、半年あまりの知事が行財政のどこに無駄があるのか、把握できているとは到底思えません。すべての事業をゼロベースで見直すというご自身の信念をもって、まず見直してほしいものです。

 重病の子供をなんとか手術させたいと積み立てをして、「思うように貯まりませんでしたので、中止にします」という親がいるでしょうか。「積立金からの支出しか考えてなかったので、他の家計を見直せばなんとかできるかも知れないが、それでは家族の理解が得られない」とあきらめる親がいるでしょうか。今、蒲島知事がそういうことをされているようにしか思えません。球磨川や不知火海の再生の取り組みを先にの伸ばせるだけの、自然力が、まだ球磨川や不知火海に残っているのでしょうか。今回の決断にあたっては、現在の球磨川や不知火海の現状、また漁業者の窮状を検証することなしに、撤去という大手術を先延ばしにしたことは間違いありません。

 「川は流れてこそ川」です・・今の川は動脈硬化や血栓で血が通わなくなった人の末期を見るようです。干潟は自分で呼吸や毒素の排出ができなくなり、透析を受けている身内がそばにいるようで、苦しいです。

 川は血液と同じものであり、森は肺であり、干潟は腎であるように・・・自然と私たちの健康は切り離して考えられるものではないということを、蒲島知事に理解してほしいのです。

 財政問題という物差しだけで、撤去を先延ばしにできるのか、何とか費用の捻出はできないものか、もっと安く撤去する方法はないものなのか・・・水利権を更新するその日まで、蒲島知事は奔走・模索する責任があるのではないでしょうか。

 不知火海は沈黙の臓器・肝臓のように、黙って貴方の英断を待っています。

今日の天気:cloud 

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