トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月28日 (金)

撤去への努力を続ける責任

「存続」前提でも、撤去の可能性を模索するべき

    ―蒲島知事へのメッセージ―

 27日の存続表明は予想されていたとは言え、一縷の望みを抱いていただけに、発表を聞いて、やはり力が抜けてしまいました。6月4日に凍結発表をされた時は、財政問題だけを存続を決定する物差しにしていた知事に、確かに別の物差しも手にされていたように見えたからです。潮谷前知事も蒲島知事の決断に「本当は荒瀬ダムを撤去したかったのだと思う」「本心とは違う選択をしたのだろう」と蒲島知事を思いやるコメントを寄せられています。また、一方で、工夫次第で撤去費用を捻出できる可能性を元知事として示唆されています。蒲島知事は昨日の記者会見で、「いつとは言えないが、財政の事情が許せば撤去したい」と述べておられ、「本当は撤去したい」というのが、本心であれば、水利権の申請書を出すぎりぎりの日まで、撤去費用をどうしたら捻出できるが、あらゆる努力をするべきだと思います。

 知事に就任して、半年あまりの知事が行財政のどこに無駄があるのか、把握できているとは到底思えません。すべての事業をゼロベースで見直すというご自身の信念をもって、まず見直してほしいものです。

 重病の子供をなんとか手術させたいと積み立てをして、「思うように貯まりませんでしたので、中止にします」という親がいるでしょうか。「積立金からの支出しか考えてなかったので、他の家計を見直せばなんとかできるかも知れないが、それでは家族の理解が得られない」とあきらめる親がいるでしょうか。今、蒲島知事がそういうことをされているようにしか思えません。球磨川や不知火海の再生の取り組みを先にの伸ばせるだけの、自然力が、まだ球磨川や不知火海に残っているのでしょうか。今回の決断にあたっては、現在の球磨川や不知火海の現状、また漁業者の窮状を検証することなしに、撤去という大手術を先延ばしにしたことは間違いありません。

 「川は流れてこそ川」です・・今の川は動脈硬化や血栓で血が通わなくなった人の末期を見るようです。干潟は自分で呼吸や毒素の排出ができなくなり、透析を受けている身内がそばにいるようで、苦しいです。

 川は血液と同じものであり、森は肺であり、干潟は腎であるように・・・自然と私たちの健康は切り離して考えられるものではないということを、蒲島知事に理解してほしいのです。

 財政問題という物差しだけで、撤去を先延ばしにできるのか、何とか費用の捻出はできないものか、もっと安く撤去する方法はないものなのか・・・水利権を更新するその日まで、蒲島知事は奔走・模索する責任があるのではないでしょうか。

 不知火海は沈黙の臓器・肝臓のように、黙って貴方の英断を待っています。

今日の天気:cloud 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月27日 (木)

荒瀬ダム存続の判断にあたって

熊本県民が誇れる判断を

 荒瀬ダムを撤去するか存続するかについて、蒲島知事は今日にも判断されるものと思われます。昨日は、最大会派の自民党や多党の県議と意見交換を交し、その中で「財政上の理由から、存続したい」「しかし、状況が許せば早いうちに撤去したい」旨発言されています。この相反したコメントからも、悩まれたことは伺いしれます。しかし、ゼロベースですべての事業を見直すと公言されていた知事が、「他の事業の見直しも全くしない段階の6月になぜ、荒瀬ダムだけを見直す発表をした」ということに、割り切れない思いを抱く県民は多いと思います。決断力は当然知事に求められる資質ですが、それはあくまで熟慮の上にされるべきものです。特に熊本県は川辺川ダムという全国レベルの問題を抱えています。そして、この問題についての蒲島知事の判断は、県民のみならず全国から高い評価を得ただけでなく、大きな影響を与えています。特に大戸川ダムに対する関係府知事の判断に大きな影響を与えたのは間違いありません。自分の発言の影響の大きさを蒲島知事がどう捉えておられるのか分かりませんが、今後の日本の河川行政の方向性を正す役割が、結果的に蒲島知事には与えられたというのは、認識してほしいと思います。

河川行政の分岐点における熊本の役割

今月11月2日に京都で開催された「川の全国シンポジウム」に川辺川ダム問題の報告をするために参加してきました(詳細は高橋ユリカさんのブログを見てください http://yurika-net.sakura.ne.jp/blog/index.php?mode=res_view&no=42)。2-3日にわたって開催されたこのシンポジウムでは、主に淀川委員会や河川法の経緯や問題点がテーマの中心でしたが、川辺川ダム問題の全国における位置づけが明確に印象付けられた大会になりました。

この中で、元近畿地方整備局職員であり、元淀川委員会委員長である宮本博司氏からの報告がありました。淀川委員会の経過についての報告の中で、宮本さんは、最初淀川委員会を作った時に、「面白いから、やれ」と応援していた国交省が、「淀川委員会をつぶせ」t変わってきた経緯を述べられ、今、河川行政を昔の官僚主導型に戻そうとする強い力が働いていると危機感を述べられました。それを阻止する大きな力の一つが川辺川と淀川の連携であることは間違いありません。とりわけ、白紙撤回宣言をした蒲島知事と大戸川ダム中止を求める決議をした4府県知事の強いリーダーシップが求められています。

そういう立場にある蒲島知事が、熊本県内のダム問題で、整合性のない判断をすることが、今後の川辺川ダム問題の解決に影響があるだけでなく、今後の河川行政が変わろうとする流れの中に、障害物を投じることにもなりかねません。

河川行政が分岐点に立っているという現状の中で、川辺川ダム問題と荒瀬ダムは切り離して考えることができない問題であるという認識の上にたって、蒲島知事には賢明な判断をしてほしいと願っています。県民が誇れる知事になれるかどうかの分岐点に、蒲島知事もまた立っています。

「淀川委員会は面白い」から「淀川委員会をつぶせ」まで          ―宮本氏の報告要約―

Ca370159 ●吉野川の可動堰の問題などいろいろあって、もう河川局自体今までのやり方ではもたないということがあって、河川法改正となった。この河川法改正は今までの治水・利水というのにプラスして河川環境の保全が入ったが、もうひとつ一番大きな問題は、今までは河川の整備というものは、「国にまかして下さい。」「国交省がやりますよ」と言ってきたのを勝手にしましたというのを法的に位置付けたもの。

2000年に淀川の流域委員会を作ろうということで、準備委員会ができた。このときの発想はとにかく、河川行政に対する住民側の不信感を払しょくしようというのがあって、委員を公開で第三者機関によって選ぶとか、事務局は国交省から独立させるんだ、という様々な試みをやった。すべて、この委員会というものは、お墨付き委員会にしないというものがあった。

2001年にスタートした。その時は、河川局も国交省も「面白そうだ。任すからやれ」ということだった。結論ありきでなく、委員や住民と一緒に淀川の現状と課題を共有しようと。結果として、委員自体の考え方も国交省役員の考え方も変わっていった。

●治水も利水も環境も一体として考えようというのが一つの方向転換だった。ダムと河道でとにかく洪水を押し込めるのには限界があると。今もろい堤防があるから、それは最低限補強しようというのが二つ目の転換だった。そして3つ目は、これからの水需要は我々使うほうが抑制しようと。水利用をできるだけ効率的に使おうというほうに方向転換しようということになった。今まではとにかくダムだったが、ダムというのは、河川環境あるいは社会的影響を考えるとき、できるだけ作らないほうがいい。しかし、どうしても造らないといけない時には徹底的に説明責任を果たそうというのが、この淀川流域委員会で議論で大きな方向転換の流れであった。

●ところが、淀川はなんだか面白いと言っていたのが、だんだん淀川はけしからんという話が出てきた。それから、まず堤防強化をやろうと言っていたのが、「越水対策は言ってくれるな」ということになった。そして、最後には「淀川のこんなやり方をつぶせ」と、極端な意見まで出てきた。

●最初、これまでのやり方を根本的に変えようと、河川法改正のスタートだったと思う。しかし、今考えると、国交省の中には、「もう持たないから何か仕組みを作っておこうと、それが河川法改正であって、河川法が改正されたらそれで通るだろう」という考え方があったんじゃないかと、思っている。そして淀川流域委員会があって、学識経験者の意見を聞いて、反映していこうとした時に、「淀川は本気で住民の意見を聞こうとしている」と、これはけしからん事だということが起こってきたのではないか。

●国交省の河川官僚の多くは、「川のことは自分が一番よく知っている」と思っている。だから市民意見や、学識経験者の意見を聞くと、出だしは変えたが、根本のところは我々河川官僚が一番知っているから、これは変えない。それを淀川はひょっとしたら根本のところまで変えようとしているんじゃないか、というふうなことが、この7年の流れの中で起こってきたんじゃないか。

●昨年の1月に淀川委員会が休止された。そして昨年の8月に原案が出されたが、この原案が2001年から6年間流域委員会と近地整が二人三脚でやってきた議論とまるっきり根本から転換され、また従来型の先祖がえりの考え方にもどった。そして、どうしてもダムだというのがこの原案の中身。そして、流域委員会は、今年の4月にこの原案ではどうしても議論がかみ合わないと、いうことで、見直しを求めたが通らす、見切り発車になった。

●今河川環境も悪くなり、行政に対する不信感も高まってきた、これをなんとか変えようと、安心できる地域つくろうと、河川環境をよくしようという方向を淀川委員会でやってきたが、今もう一回逆の方に戻そうというすごく大きな力が働いている。我々は今その分岐点にいる。昨日、今住民や知事さんがこの分岐点の中で、動こうとされている。そして、府議会も県議会もいろんな動きがある。滋賀県の議会はこの前「流域委員会の意見をきちんと聞くべきだ」ということを、議会で議決された。そして今日は国会議員先生もこられて、住民の方も大きな力をだしているが、今この分岐点でどちらにいくのか、ここの非常にきわどいせめぎあいが、まさにこの淀川あるいは住民が問われるところ。非常に大事なところにいると考えている。

今日の天気:cloud

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月26日 (水)

蒲島知事の「迷い」は払拭されたのか

今日の熊日報道・・・知事の迷いはなくなったのか?

 今日の地元新聞、熊本日日新聞の1面トップは「荒瀬ダム、存続固まる」でした。27日にも決断が下されるのではという話もありましたが、知事は21日の定例記者会見で「迷いは深くなっている」とコメントされて以来、度々この言葉を口にされていました。今朝、知事公舎を出る時も、「まだ決めてない」というコメントだったと聞いています。県民に「迷っている」を繰り返しながら、こういう記事がでるのであれば、それは県民に対して誠実な対応をしてきたとはいえません。背景はどうあれ、今日の新聞記事の内容に関して、県民に説明する責任があることは言うまでもありません。

以下、今日の新聞記事に対する私的意見です。

diamond報道の裏に何があったのか

 この記事によると「関係者の話で分かった」とあるように、ある関係者が新聞に載ることが分かった上で、リークしたものと思えてなりません。知事が信頼している人物であれば、そういうことはしないでしょう(知事が意図的に関与した場合を除いて)。であれば、知事は信頼してはいけない人を信頼して、本音を言ったのか、あるいは、凍結発表以来、存続の意向を示していた知事が、ここにきて知事に迷いを示したことに危機感を感じた関係者に、川辺川ダムの決断で見せたどんでん返しにも近い決断と同じような決断が下されるのを防ぎたいという思惑があったのではないかという推測は、当然でてくる話です。

 最近になって、27日にも決断が示されるのではという話もあちこちから聞こえていました。27日は、12月議会に先立って、議員へ議案の説明が行われる日ですが、説明は、自民党、社民党、県民クラブ、公明党、無所属など別個に行われます。時間もずれている説明会での決断表明を正式公表とするのも、県議へ平等な情報の提供を行うということからすれば、常識にも礼にも欠いた方法で、疑問を持っていました。全員協議会の場であれば別ですが、そういう話は現時点でも上がっていません。事実はどうあれ、こういう報道がされた以上、少なくとも、なぜこういう報道になったのかについての説明責任は求められます。

diamond「迷っている」のは、間違っているから

 6月4日に凍結を発表された時の知事の頭には、いかにして県財政を立て直すことしか頭になかったというのは、間違いないでしょう。しかし、その後地元に押し付けてきたダムの暗い側面を知るにつれ、撤去費用と天秤にかけるのは存続費用だけでないことに気がつかれものと思います。地元で開催された度々の説明会や寄せられた多くの意見書などによって、それまで見えていなかったものが見えてきた・・・というだけでなく、川辺川ダム是非の判断のために、自らが設置した「有識者会議」を全部傍聴されたことにより、河川行政のあるべき姿やダムが環境にどのような影響を与えるかという事実に触れられたことも大きいように思います。お金の問題しか見えなかった知事が、お金に代え難いものがあることを理解されたので、「迷っている」のだと思えます。しかし、迷っているのは、間違いに気が付き始めたからに他なく、迷っている段階で、決断をすることは避けるべきです。「迷っている」知事が、その言葉とは裏腹に「存続決定していた」という腹芸ができる人には、私には見えないからです。

迷っているのであれば、きちんと検証する時間、悩む時間が不足しているからに他ありません。蒲島知事には、今日の新聞報道にとらわれす、正しい判断のために何が不足しているかきちんと考えてほしいものです。少なくとも、実際に水利権更新の手続きをするまでに、時間的余裕はあるのです。

ただ、その時間が怖い人たちが蒲島知事の周りにいるということを強く感じた、今日の新聞報道でした。

今日の天気:sun

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月25日 (火)

県民の声を聴いて!「荒瀬ダム撤去集会」での意見

球磨川の再生実現を願う切実な声

11月22日に坂本町で開催された「荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会」において、撤去を実現してほしいという切実な声が現場から報告されました。以下、実行委員会がまとめた報告からの紹介です

また、自然保護協会から、この大会に会わせて寄せられた意見書を下記にアップしました。

diamond自然保護協会の意見書「蒲島知事へ 撤去を求めるメッセージ」http://www.mediafire.com/?mkummddhnzm

   地元や関係者の声・メッセージ―

diamond荒瀬ダム対策検討委員・坂本住民 

荒瀬ダムができたら、水害がなくなる、ダム湖にボートが浮かび、観光客が大勢来てくれて村が賑わうというバラ色の未来を、私たち坂本村民は信じた。しかし、荒瀬ダムができてから洪水被害が発生し始めた。水位の高さ、水位上昇の早さはダム建設前には見られなかったこと。専門家の話や地元住民の体験に耳を傾けて、県は拙速な判断をしないでほしい。

diamondさかもと川漁師組合組合長

球磨川で育てられた坂本。アユのおいしさ、蛍の乱舞は自信があったが、今ではそれも消えた。タービンで切断されたうなぎ、中洲で死んでいるアユの稚魚。生体系の破壊も仕方ないと受け入れてきた。しかし今や荒瀬ダムは役目を終わった。流域住民に水利権を返してくれ。球磨川を返してくれ。

diamond八代市内のイグサ・米農家 

土地改良区の荒瀬ダム水ガメ論は事実と違う。地下水の塩水化は、荒瀬ダムが水の供給を止め、井戸から大量の水をくみ上げているから。農業用水が足りないのは適切な用水管理がなされてないからだ。渇水時の水ガメ機能は荒瀬ダムにはない。

diamond樋ノ島漁協組合長 

116日、県下のすべての漁業協同組合が団結して熊本県庁で大集会を開き、荒瀬ダム撤去の要望を知事へ伝えた。不知火海の再生のためにも荒瀬ダム撤去を実現させよう。われわれ漁業者は、みなさんとともに行動していくことをお誓いし、共にがんばりましょう。

Minamata diamond漁業者、水俣の被害者の会メンバー ↑

不知火海は疲弊している。水俣病も水質汚濁から始まった。水の汚れは、人間で言えば動脈硬化と同じ。動脈硬化の原因である荒瀬ダムは取り除かねばならない

diamond八代市民

八代に来て30年になる。私は福岡育ちだが、福岡ではドブ川しか知らなかった。お年寄りに話を聞くと昔はもっと鮎やウナギなど、いろいろな魚がたくさんいたと言われる。そんな球磨川に戻してほしい。

diamond路木ダムを考える河浦住民の会メンバー

荒瀬ダム撤去凍結は許されない。路木川の清流は希少生物の宝庫であり、魚の産卵場。県営路木ダムが完成すれば、我々もここと同じ悩みを抱える。知事が財政難を理由にするのなら路木ダム建設を凍結し、その事業費90億円を荒瀬ダム撤去に回すべき。Kitagakisan

diamond不知火海の漁師

ちりめんじゃこ漁師として、球磨川には本当にお世話になっている。球磨川の流れはちりめんじゃこにとっては赤ちゃんのミルクと同じ。荒瀬ダムの撤去が決まったので息子2人は漁師になると決めた。ところが知事が撤去凍結と言い、人生設計を狂わされた。世界不況に向かっている今こそ、不知火海を再生するときだ。

diamond八代漁協・副組合長

かつて八代海は漁船密度で日本でも屈指の存在感を示していた。ところが荒瀬ダムができてから、漁獲高は激減。ある本で「日本から漁師が消える日」という特集があったが、真っ先に消えるのは八代海の漁民ではなかろうかと危惧している。 荒瀬ダム撤去による漁場再生でしか、漁師が生き延びる方法はない。県の財政的見地のみでダム存続、漁民の生活の抹殺が許されるのか。荒瀬ダムを残すことは断固反対。私の言わんとするところは皆さんの思いであり、皆さんの言わんとするところは私の思い。ともに撤去に向けてがんばりましょう。(八代漁協のみなさん ↓)Yatusirogyokyou

diamond球磨川漁協組合長:荒瀬ダム撤去へ向けて共に闘う。

         

diamond松野信夫参議院議員

球磨川は守るべき宝と知事は述べて、川辺川ダム白紙撤回を表明したが、未だ道半ば。荒瀬ダムを撤去してこそ宝である球磨川が本当に蘇る。ダムを残すかどうか決めるのは県民。声を大きくして、ダム撤去の民意を知事に届けよう。

今日の天気:sun

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月23日 (日)

もう一つのダム問題ー県営路木ダム

見直すことなく進められる路木ダム建設の整合性は

 蒲島知事は、選挙中より「すべての事業をゼロベースで見直す」と公言されていました。このこと自体は政治家として正しいと言えます。その見直すべき事業の一つとしての荒瀬ダム撤去凍結宣言であるなら理解もできます。しかし、その後の検証・説明はすべて「存続ありき」のものになっているのはやはり問題です。そして、その一方で、ゼロベースで見直されることなく進められようとしているダムがあります。県営路木ダムです。この問題点については、現場を見てみれば、すぐに分かります。荒瀬ダムの撤去費用と同じくらいの建設費用がかかる同じ県の事業について、片方は見直し、片方は検証しないというのでは、蒲島知事の「ゼロベースで見直す」という発言は、整合性がなく、また信念ではなく感情であるという非難があるのも仕方ありません。

cancer路木ダムと過去の水害の実態Rogidamuiti

天草の下島南部、羊角湾にそそぐ路木川の中ほどに建設予定の高さ53m、堤長180mの治水・利水目的のダムです。川沿いには田圃だけで、民家はありません。河口から北側に数十戸ほどの路木集落がありますが、過去水害にあった記録もありません。仮に路木川が増水しても、河口より高いところにある路木集落に水は押し寄せることなく、羊角湾の方に流れることは、現場をみれば一目瞭然なのです。

では、ダムの目的にある水害対策が必要な地区とはどこなのでしょう。それは、路木川とは水系も違う葛河内川沿いにある河浦地区で、ここが度々浸水しています。路木ダムの河川整備計画に「昭和57年7月等の豪雨による洪水時には、下流宅地において約100棟の床上浸水、中流部水田においては約80haの農作物被害等が発生している。そのための治水採択が急務になっている」と書いてあります。これが事実でないことは、現場の方に聞けばすぐ分かることですが、つい最近データーを改ざんしていたことも明らかにされています。

cancer破たんした水需要予測

もう一つの目的は水道用水です。計画された1993年当時は給水人口は2002年に16,600人になり1日平均8340トンが必要になると見込まれていました。そのためにダムから4600トンの水を供給することになっています。しかし、実際は現時点で人口2600人減、平均供給量約4000~4500トンです。計画時点より人口が減少した現在、水が不足しているという現実はありません。現在、河浦町は簡易水道で1日約1500トンの給水能力がありますが、もしダムが建設されると、これは廃止される見込みです。

Hatikubosaboudamu

また、3年ほど前、河浦町に取水設備を備えた八久保川砂防ダムの存在が明らかになりました(左写真)。1000トンの取水が可能なこのダムの存在を地元住民は全く知りませんでした。河浦町は「鉄分が多いため、飲料水には適さない」と答えているようですが、住民が専門の分析機関に水質検査を依頼いたら、何の問題もありませんでした。ダム建設前提のために、他の施策を講じようとしないのは、ダムに共通した問題のようです。安く早くできる事業をきちんとやって、それで足りない時に、ダムを考えることが、財政の面からも、当然のことのように思えます。Rogigawa_2

cancer守りたい路木川の自然

上の写真は、河口から僅か100m程度のところの路木川です。川沿いに民家がないことや、流域の山が荒れていないこともあり、河口まで清冽な水が流れています。夏ともなれば、子供たちの良き水遊び場となっています。

cancer貴重な洋角湾の自然

ダムができると海にまで影響がでるのは、これまで建設された多くのダムが証明するところです。Youkakuwann_2

Hiougigai_2

羊角湾の干潟には80種を超える絶滅危惧種の貝やカニ、植物が今なお確認される全国でも例をみない貴重な干潟です。また、群生するアマモは日本の南限となっており、魚介類の産卵場となっており、羊角湾の漁業を支えています。しかし、ダム建設の費用体効果を考えるときに、これらの自然や漁業が生み出す経済効果は試算されないのも他のダムと一緒です。

今日の天気:cloud

| | コメント (0) | トラックバック (0)

荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会

club私たちに球磨川を返して!坂本町で集会開催

このところ、ぐずついていた天気とは打って変わった今日の青空のもと、八代市坂本町のグリーンパークにおいて、「荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会」が開催されました。

Sekizyoudaiko 坂本の山々に響き渡る、東陽町の郷土芸能「石匠太鼓」の演奏から始まった会場には、約800人ほどの人々が集まっています。

続いて、実行委員長の元坂本村村長の木村征男さんがこれまでの経緯を報告、蒲島知事に「撤去を実現し、球磨川の清流と不知火海の再生を取り戻してほしい」と蒲島知事へのメッセージを述べると、その後様々な立場の人たちから撤去のスピーチが続きます。Sakamotosyuukai

水害に50年も苦しんできた地元、対岸の樋島漁協組合長、チリメンジャコ漁をする漁業者、同じ不知火海の汚染に苦しんできた水俣病患者会の人たち、イ草農家、県営路木ダム建設に反対する団体代表、球磨川河口を魚場とする八代漁協の代表たちが「建設後ひどくなった水害に苦しんできた。撤去してほしい」「撤去前提で前回の水利権更新は行われた。知事といえども水利規則に反する行為はできない」「不知火海に生きる私たちは絶滅危惧種だ」「水俣と同じ過ちを八代海で繰り返してはいけない」「いらない路木ダムに使う費用を撤去費用にまわすべき」と、荒瀬ダム撤去を実現してほとと訴えました。大会宣言文案が読みげられ、最後は球磨川漁協の組合長や組合員、この日の発言者がステージに上がり、組合員の吉村勝徳さんが「荒瀬ダムを撤去して、球磨川を取り戻そう」と会場に呼びかけました。会場に詰めかけた参加者の声は、坂本の山々にこだましながら、蒲島知事にも届いたことでしょう。

             集会宣言文」

 50数年前まで球磨川や不知火海は、私たちに様々な恵みを与えてくれました。私たちの生活は川や海と共にあったといっても過言ではありません。しかし、荒瀬ダムがこの地に出来てから様相は一変しました。
 ダム湖の水位上昇やダムの放流による水害の頻発、水質汚濁、ダム放流による水位変動を原因とした鮎などの激減、そして悪臭や騒音・振動問題、藻場や干潟の消滅に伴う魚介類の減少。ダムは恵みの川や海の姿を一変させました。
 私たちがこの半世紀の間に気付き、そして確信していることがあります。それは、「ダムは百害あって一利なし。川は、水が流れてこそ川」ということです。私たちは、これ以上ダ
ムのある川で生活することに耐えるつもりはありません。
 荒瀬ダム撤去は、地域住民・議会・行政が三位一体となって勝ち取った長年の悲願です。一つ一つ合意を積み重ねて決定されたものであり、当時の熊本県知事や熊本県議会が地元に約束したものです。熊本県は荒瀬ダム撤去という決定を尊重すべきであり、実施する義務があります。ダム建設という行政の行為が、住民にいかに悪影響を及ぼしたかという点で、議論の余地無く撤去すべきものです。一時的な思い付きや財政問題のみで住民の生活・なりわいを壊していい訳がありません。ダム撤去費用が不足するなら工面してでも手当てすべきです。
 球磨川の源流域から不知火海に至る豊かな水の流れと生き物たちの営み、それら全てが私たちにとって守るべき宝です。
私たちは再びその宝を自らの手に取り戻すために立ち上がります。私たちの行く手を阻むものがあっても、私たちは、絶対に引き下がりはしません。ダム撤去を勝ち取るまで、私たちはこの闘いを続ける覚悟です。なぜなら、私たちは自らの生活とこの地域を守り、次世代に引き継いでいく責任があるからです。
 私たちは荒瀬ダム撤去を実現し、豊かな球磨川・不知火海を復活させていくことをここに宣言します。

2008年11月22日 荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会参加者一同

※大会宣言文は、25日午後2時に蒲島知事に提出予定です。

今日の天気:sun

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月21日 (金)

昔の球磨川・・・漁師さんの証言(1)

pisces昔の球磨川は鮎がいっぱいいた

昔の球磨川について、流域の人は良く知っています。特に鮎の話になると、漁をしない人でもよく知っています。「鮎が本当にたくさんいた」という話を最初聞いた時は、宮崎の街育ちの私には、にわかに信じられない話ばかりでした。しかし、多くの人の話を聞くと、みんな話が一致しています。一人一人の話が違うなら、失ったものを懐かしむ気持ちが、話を大きくさせているのかもしれません。しかし、みんなが同じ話をするとなれば、信じないわけにはいきません。その共通した話とは以下のようなものです。

  1. 春になると、稚鮎がまるで川幅いっぱいの黒帯のようになって、川を遡上していた。
  2. 橋の上や舟の上からみると、澄んだ川は鮎でいっぱいで、川底は見えなかった。
  3. 川に石を投げると、鮎にあたった。
  4. 水面を棒でたたくと、鮎が数匹プカプカと浮いてきた。
  5. 夜川に行き、川岸で水の中にそっと手を入れると、鮎を抑えることができた。
  6. 子供も、アユ釣りで稼げたので、小使いをもらったことはなかった。学用品もみんな自分で買っていた。
  7. 鮎漁師は、半年の漁で、サラリーマンの1年分を稼いでいた。

共通したものだけですが、その他の話になると枚挙にいとまがありません。熊本県は失った球磨川の価値について、データがないので試算できないといいますが、聞き取りが立派なデータになることがあります。一つには、聞き取りや観察回数の数が多いこと、もう一つは継続性があることですが、それがきちんと記録してあれば、立派なデータであり証拠です。そういうこともしないで、「データがない」として片付けるのであれば、検証する気がないと言ってるのを同じです。

球磨川の昔について、漁師さんのお話を少しづつ紹介していきたいと思います。

pisces友釣り名人、塚本昭司さんのお話Tsukamotosann  

塚本さんは友釣りの名人として、よく釣り雑誌にも取り上げられる球磨川の有名人です。球磨川のすぐ近くで生まれ育ちました。お父さんは、国鉄勤務の傍ら、4,5反歩程の畑作をしていましが、夜はアユ漁をしていました。昔の塚本さんは、まさに川ガキそのものだったようです。************

生家から野原を挟むと球磨川があり、塚本さんは子供のころから、その周辺の球磨川を遊び場にしていました。対岸まで泳いで戻ってくることが、子供のほこりでした。遥拝の堰を下るイカダを見つけると、船頭さんの両手がふさがったスキを狙って、イカダに誰が一番に乗り込むことが出来るかを競いあっては、怒られたそうです。喉が乾くと、球磨川の水をすくって飲みました。

小学生の塚本さんにとって、球磨川は遊び場と同時に稼ぎの場でもありました。5月~10月頃まで、学用品代になる位の金額を、鮎とさなぼり(ゴリ)、ウナギなどを売って得ていました。家庭でも、お祖父さん、お父さんとも鮎漁をしていましたが、落ち鮎の頃は、舟に足場がない程の漁獲があり、お祖母さんが天秤棒で、桑カゴに入れた鮎を売りに行く姿を見て育ちました。漁協組合員だったお父さんは、仕事を終えて、夜近所の人と投網に出かけるたびに、2、3時間で4~5kgの鮎を取ってきては、頼まれた人たちへ配り、生活の足しにするのが当然のこととなっていました。Tukamotokodomozidai

 塚本さんが鮎の友釣りを始めたのは、昭和39~40年(二十歳の頃)ですが、現在の県立南高校の前付近の球磨川で、地元名人と呼ばれる老漁師に混ざり鮎釣りをすると、一度の漁で当時の給料の1割程の収入が得られたといいます。

 ここ数年は、夏の鮎漁が主体です。漁場は下流のダムの影響で、八代に友釣り場がなくなった為、今は主に球磨郡内球磨川水系で鮎がいそうな場所です。10年ぐらい前までは、春はヤマメ、冬はハエ釣りと川の恩恵に預かっていましたが、今ではヤマメの漁場もなく、漁も努力次第で、やっと生活の足しになる程度の量しか取れません。

 塚本さんは、釣りインストラクター協会員や全国釣り振興会等の大きな組織に所属している立場から、全国に釣り友達がいます。鮎釣りシーズンには、遠来の客から球磨川のガイドを頼まれることも多いといいます。ここ数年は鮎の減少にアユ釣りに訪れる人もめっきり減りました。

 「人間や動植物、生きとし生ける物すべてに恵みを与えるべくして、太古から受け継がれた造形物として、球磨川の豊な水量、美しさを誇りに思います。現代に生きる人間だけの財産ではありません。」と塚本さんはダム問題にも積極的に取り組んできました。球磨川で川辺川ダム反対の声が強いのは、荒瀬ダムができてからの川をよく知っていて、昔の川を取り戻して、未来に手渡したいという気持ちがみんなに強いからに他ありません。

今日の天気:cloud時々rain

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

アサリと干潟の砂の関係

砂の割合を利用して行う「泥選別」

荒瀬ダムが出来てから、干潟が後退しただけでなく、砂が少なくなったというのは、多くの漁師さんが証言されるところですが、アサリと砂の関係について、漁業者に聞いてみました。

cancerアサリの漁期について

 八代漁協の場合、アサリの漁期は3月の終わりから、11月ぐらいまでです。8月の暑いときはアサリがすぐ弱るので、1か月ぐらい(二潮ぐらい)休みにします。冬は夜しか潮が余り引かなくなるので、あまりしなくなるということです。1か月のうち、漁ができるのは、少ない時で10日~14日、多い時で20日ぐらい。干潮の3時間に漁場に出かけ、舟の上で、生きているアサリと死んでいるアサリを選別します。その砂選別の経験から、アサリと砂の関係を説明していただきました。

cancerアサリは砂がないと、海で溺れる

Asarisuna ①アサリは通常砂の中に立って、水管を伸ばして呼吸をしています。少々の土砂やヘドロが上にかぶっても、水管を伸ばして呼吸をして生きることができます。

②大量に泥をかぶっても、ある程度の割合の砂が入っていると、比重の関係でアサリは浮上して、上に上がってくることが出来るので、生きていくことができます。

③ところが、砂がないと、浮上できずに窒息して死んでしまいます。

このことを利用して、アサリの選別を行います。

cancerアサリの泥選別

泥選別とは泥選別は生きた貝と死んだ貝を振り分ける方法です。泥と砂をある割合で(感で)入れると、比重がほぼ1.4の泥になるそうです。その中にアサリをいれるのですが、

○貝殻だけのは、泥選別にかける前に、取り除きます。

○口を閉めて、死んだ貝は、泥の上に浮いてきます。

○中に泥を詰めて、死んでいる貝は、沈んだままです

○生きている貝は、水面ぎりぎりに浮いてきますが、泥の上に浮くということはなく、泥の中です。

○貝殻が割れた貝(ジョレンで傷つけた場合がほとんどで生きている)は、変な浮き方をする。経験から分かる程度。

・・・ということで、4つの場合が判別できるということでした。

Dorosennbetu 泥選別の様子です。なんか旧式の方法のように思えましたので、「まだやっている漁師さんがいるのですか」と聞いたら、「新しい方法なので、みんなやっている」と。平成4年ぐらいに、金剛の漁師さんたちが有明から習ってきたそうです。これを考えた有明の漁師はすごいといわれます。

今金剛では1日60kgに収穫制限されていますが、選別するのに、20分ぐらいだそうです。それまでは、左の掌に10個ぐらいづつアサリを載せて、右手で死んだ貝をなどを取り覗いていたといいますので、見ただけでは死んでるかどうかわからず(中に泥だけ詰まっていたりする)とても時間がかかっていたそうです。

今日の天気:cloud

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月17日 (月)

不十分な荒瀬ダム存廃の検証

fish費用対効果の検証がな報告書

荒瀬ダムを撤去する場合と存続する場合について、県庁内にプロジェクトチームが作られ、1ヶ月間の検証ののち、報告書がまとめられ今月11日に公表されました。企業局が試算した撤去費用は91.8億円に膨らんでいました。しかし、その試算の根拠となった元データは全く公表されていません。

また、この報告書は主にコストに関する報告ですが、撤去した場合の効果についての検証がまったくされていない、つまり事業の費用対効果が検証されていないという点に大きな欠陥があると言わざるをえません。撤去することにより、水害がどの程度軽減でいるかはもちろん、環境の再生による効果、及びそれらが地域経済に及ぼす波及効果などに、まったく触れてないことです。

fish住民や漁業者の懸念が検証されていない

地元坂本町の住民や漁業者が、撤去を強く求めるのは、ダム建設によって、頻繁に起こるようになった水害、鮎をはじめとする多くの魚介の漁獲量減少があるからです。撤去してもこれらが改善されることがないというのであればまだしも、存廃を検証する場で、撤去した場合の改善効果がなんら検証されていないというのでは、行政の仕事としてはお粗末すぎて、住民を納得させることは不可能です。

撤去により濁水がでる可能性があるのでその対策費はこれだけとか、水位が低下することによって護岸が崩れる可能性がある個所が増えたとか、係る経費についての検証だけはきちんとしてあり(必要かどうかは別にして)、存続費用が約20億円も大幅にアップしています。

特に環境に対する検証は、お粗末そののです。もともとこのPTに環境に関する部署が参加していません。球磨川に関する記述は「撤去に伴い、河床等の状況が魚類、徳にアユの生息に適しない場合も考えられるので、状況を見ながら対応することが必要である」という報告のみ。八代海の漁業に関する記述は、「定量的に把握することは困難である。しかし、長期的にみれば砂が自然流化し、それによって良好な干潟が形成され、魚介類に好影響を与える可能性がある」という趣旨の短い記述があるだけです。

当たりまえです。環境や水産に関する部署が参加しておらず、わずか1か月という期間で結論を出すことにそもそも無理があります。知事が、これを参考の一部にはしても、判断の根拠にすることがあってはならないことです。

fish環境の評価にはHEP分析の考え方も必要

アメリカに、マチリアダムの撤去計画があります。高さ80mの大型ダムです。撤去の是非や方法を検討するための、生態系回復プログラムの検証を10年以上やっています。この検証の一つにHEP(Habitat Evaluation Procedure)という手法を採用しています。HEPというのは、野生生物の生息環境から複数案を定量評価するために、複雑な生態系の概念を特定の野生生物の生息環境に置き換え、その適性について定量的に評価する手法です。すでに、HEPモデルも出来ています。

▼USGS(米国地質調査局)HPにてHSIモデルは公開されています。http://www.nwrc.usgs.gov/wdb/pub/hsi/hsiintro.htm

マチリアダムにおいては、スチールヘッドトラウトという魚を守るための生息条件を回復させるための条件をこのモデルを適用して、検証を行っています。球磨川でいうなら、アユが一番対象にすべき魚種になると思います。

さらに費用対効果の分析においては、HEP分析の他に、水質・騒音などの環境に対する影響、絶滅危惧種への影響、地域の経済開発、社会的影響などすべての視点から、すべての代替案に対して行います。

なにより進んでいるのは、このプロジェクトチームには、行政だけでなく研究者やNGO,地元代表(漁業者やサーファーなど含め)多くの人の参加のもと丁寧になっています。

熊本でここまで丁寧にやるということは困難かもしれませんが、50年間地元に与えた苦痛をさらに与え続けるかもしれないダムの撤去の是非を判断するには、あまりに短い検証期間であることには、誰も異論はないでしょう。

Matilija_dam_3 ▲まもなく、撤去される予定のマチリアダム 

今日の天気:cloud

| | コメント (0)

2008年11月16日 (日)

米、大型ダム撤去の時代へ

clubアメリカ、4つの大型ダム撤去を決定!

蒲島知事の川辺川ダムの白紙撤回を求める発言に続き、近畿の4府知事が「大戸川ダム不要」と発言、ようやく、日本の河川行政の転機が現実のものとなろうとしています。そして、今日の地元新聞のトップはダム見直しのための検討チームを国交省が作るというニュースでした。時代は本当に変わるかもしれないと、ちょっと興奮気味の午前中でした。

そして、もう一つ海外のニュースも飛び込んできました。アメリカ、オレゴン州で4つの巨大ダムを2020年までに撤去するというものでした。Klamath_dam      

アメリカでは、ダム撤去は当たり前というイメージが強いのですが、実は大型ダムの撤去はまだありません。それを4つも撤去するというのですから、米国民にとっても大ニュースのようでした。クラマス川でもダム建設後サーモンが激減したと、地域住民や自然保護団体の撤去運動が起っていました。しかし、ブッシュ政権下、時代の流れは逆行するように、撤去予定のダムは足踏み状態だったようです。それだけに、今日のこのニュースはオバマ政権誕生の影響だと、好意をもって受け止められたことでしょう。

「米国におけるダムの時代は終わった」と述べたのは、米国内務省開拓局前局長ダニエル・ビアード氏です。、平成6年11月9日に南アフリカ共和国のダーバンで開催された第18回国際大ダム会議においてでした。そして、その言葉は、日本中でダムの運動をしている人たちにとって、新しい時代の到来を思わせるほどの強いインパクトがありました。

その8年後、荒瀬ダムの撤去が決定し、「ダムの時代は日本でも終わったのだ」と実感したものです。私たちは、撤去を決めた熊本県民の一人として、日本初のダム撤去に至る経緯を県内外に伝える責任があると感じ、リバーポリシーネットワークのお世話で、アメリカよりダム撤去問題に詳しいデイビット・ウウェグナー氏(元、開墾局研究者)らを招いて八代市で学習会を行いました。平成16年3月25日のことです。この時、アメリカではすでに600以上のダムが撤去されていたと思いますが、驚いたのは、みんな数メートルの小さなダムで、いきなり荒瀬ダムのような大きなダムを撤去するというニュースに驚いたというのに驚いたものです。荒瀬ダムはアメリカの研究者やダム関係者からも、大変注目されていたようです。熊本県には撤去の工法含め、撤去に至るまでの経過、前後の環境の変化など、全世界に向けて情報発信する必要があると。そして熊本県はその自覚をもって撤去に望んでくれるものと思っていました。みんなが当然と思っていた撤去が凍結されることなど誰も予想しなかったことでしょう。

アメリカが、時代に逆行してダムがまた社会的正義になり、日本もまた、蒲島知事の凍結発言をきっかけに、アメリカに追従する流れが生まれるのではと懸念していただけに、今日のニュースは日本にいても、うれしいものでした。

蒲島知事には、一つの手で未来への扉を開けながら、もう片手で、逆行の扉を開けることはしてほしくないものです。

club川のダムナミックが自然の川を作る

デビッド・ウェグナー氏が球磨川に送ったメッセージ

ウェグナー氏が元アメリカ陸軍工兵隊幹部のジェームス・ジョンソン氏と共に、荒瀬ダムを訪れたことがあります。その時のことを毛利甚八氏が2004年ビーパル8月号で紹介しています。「荒瀬ダムを撤去すれば、球磨川は甦るのでしょうか」と。

ウェグナー氏はこう答えています。「川はダイナミックなのものであり、その激しい変化が生態系を造る基礎なんだ。ダムはその荒々しさを壊してしまう。ダムを撤去すると川が元い戻ろうとする凄い力をみることができるだろう。完全に昔の川に戻るわけではないが、ダムがあった時よりも自然に近い川になることは間違いない」

自然が元に戻ろうとする力は本当に強いものだと思います。平成14年撤去の準備のためゲートを3か月全開しました。水位が下がった球磨川は、ヘドロですい臭いがしたものの蛇行し、瀬は音を立てて流れていました。驚いたのは、3ヶ月目ぐらいには、きれいな水質の川にしかいない水生昆虫のカワゲラ(川辺川でしか見られなかった)が生息していたことです。人間が手さえ加えなければ、自然の回復力は相当なものだろうと、実感したものです。

「せめて、ゲートを2年間開放してほしい」というのは、住民だけでなく、川や海に生きる万物の声であることを、受け止めてほしいものです。

今日の天気:cloud → sun

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月15日 (土)

五木村ファンクラブができます

maple「ダムに沈む村」から「ダムから村を守った村」へ脱却を願って

 五木村の和田村長が「五木ファンクラブ」を作ることを発表しました。蒲島知事がダムの白紙撤回を求める決断をしたことで、川辺川ダム問題は今全国から注目を集めています。これを利用しない手はないという和田村長の判断は当然だと思います。 

 五木がダムに翻弄されたということに心を痛めている人たちは全国に多いことでしょう。しかし、そういう方たちも、ダムに翻弄されない村の再建のために、村自身が行動を起こしてほしいと願っていることでしょう。ダムを造ることに固執している国交省が自ら五木村の再建に動き出すことはありえあせん。

 五木はダム問題があったために、村の再生計画を国と一体となって取り組んできました。そのために、地元人が願う村づくりは後回しになったと言ってもいいでしょう。実際、五木には素晴らしい自然素材があります。これまで後手にまわった地域おこしを流域一体となって取り組むことが、五木だけでなく八代海まで含めた再生につながることに違いありません。

maple五木村は宣伝が下手かも・・・

 先日も紅葉の五木村に行ってきました。紅葉真っ盛りの日曜日だというのに、曇り日のせいがあったにしても、車が少なすぎます。みんな泉村方面へ行くからです。泉村の紅葉もとてもきれいです。しかし、車は渋滞、考えるだけで、いつも二の足を踏んでしまいます。

この日は、大通り峠から、端海野に行き、大滝をめぐって、白滝公園へ降りてくるコースを行きました。見ごろを少し過ぎていましたが、とてもお奨めのコースです。ただ、観光地として考えると、途中でお土産や地元の産物がなどが買える物産展などがあればいいなあと・・・

Ootakitannkaino2_2 端海野から白岩戸に降りてくる途中にある飯干川に大滝という滝がありますが、これもあまり知られていません。菊池渓谷程の面積はないけれど、決して負けてない渓谷です。大滝というより、「飯干渓谷」の名前で売り出したほうが、新緑や紅葉の季節に出かけようという気分になりそうです。遊歩道も整備されていて、渓谷沿いに10分ほど歩くと大滝に着きます。この日はもうひんやりと肌寒かったですが、心地よい散歩ができました。

maple上流と下流の交流がほしい。

前日に五木村と方とお話しする機会がありました。「本音では、みんなこのままではいけないと分かってる。」「しかし、国交省がダム前提でないと、何の予算もつけないという以上、再建に必要な橋や道路の建設は不可能」「蒲島知事にぜひリーダーシップを取ってほしい」と話されていました。

私は思い切って、「ダムに翻弄されたのは、下流の住民ー特に水害に遭ってきた人や、漁業者も同じ。」「五木は補償があるだけまだいい。また外部からの応援も望める」「一度、五木と下流の住民が一緒になって議論する場がつくれたら、流域が同じ悩みを抱えていることが分かる」とお話ししました。彼も全く同意見でした。みんなそう思っているのに、外に向かってはっきりそう言えないのが、ダムの弊害の大きさを物語っています。

今回の和田村長の「五木ファンクラブ」設立が、これまでの五木からの脱却のきっかけになってほしいものです。たぶん、ファン第1号は蒲島知事でしょう。

今日の天気:cloud → rain

▼以下、ファンクラブ設立の毎日新聞記事です。 http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20081112ddlk43040358000c.html

五木村:ファンクラブ会員募集へ 広報誌や特産品情報提供 /熊本

 五木村は20日、観光や旬の特産品などの情報を無料で提供する「五木村ファンクラブ」の会員募集を始める。「蒲島郁夫知事の川辺川ダム反対表明以降、ダム計画に揺れる村として露出度が高くなったことを逆手に取って、村のPRに活用しよう」と、和田拓也村長が発案した。

 高齢化率が県内トップの40%を超え、過疎化が進む村に興味を持ってもらい、交流人口を増加させるのが目的という。また、12月定例村議会に「ふるさと納税」制度を設けるための条例を提案し、「五木ファン」からの寄付の受け皿も用意する予定。

 会員には、2カ月ごとに村の広報誌や特産品情報を郵送する。「五木村に興味のある方」なら国籍を問わず申し込めるが、提供する情報は日本語のみ。

 村にはヤマメ、生シイタケ、シカ肉、ソバ、キビ、アワなどの特産品があるが、いずれも山間地域の少量生産で、JAの販路に載せるほどの生産量がない。このため、会員からの注文(有償)で村の農家が特産物を生産し、直送するシステムを目指す。

 20~24日に村中心部で開かれる「第20回五木の子守唄祭」で募集を開始する。問い合わせは村役場0966・37・2211。【高橋克哉】

毎日新聞 2008年11月12日 地方版

| | コメント (0)

2008年11月14日 (金)

荒瀬ダムを撤去して、八代海を豊穣の海に!

海の漁業者1200名、県庁内で抗議行動

11月6日、イチョウの葉も色づく県庁正面玄関前のプロムナードに、主に八代海沿岸の漁業組合の組合員約1200人がバスで押し掛けました。県漁連の抗議行動としては過去に例のない規模です。

12月中に荒瀬ダムを存続させるか撤去するかの判断をすると蒲島知事は表明していますが、表明後の企業局の説明や知事のコメントは存続ありきのニュアンスが色濃く、地元住民だけでなく、球磨川や八代海の漁業者は危機感を募らせています。知事に直接面談して、八代海の現状を訴えたいと、県に申し込みましたが、日程の調整がつかず、この日は県庁内での抗議行動と要望書提出となりました。

Kaimenngyokyou

荒瀬ダム建設前は八代海は豊穣の海というより、魚が沸いてくるようにいたといいます。広大な干潟やその先に広がる藻場は、様々な魚の産卵場や成育場になっていました。干潟にはガザミやヒラメなど、踏まずには歩けなかったと、漁業者は口をそろえて証言します。荒瀬ダム建設前の八代海には、約30000人の漁業者が海で生計をたてていました。しかし現在は10000人を下回り、専業の漁業者はその約半分です。撮れる魚の種類も量も3分の1以下になりました。一つ一つの魚や貝の大きさも3分の1とは言わなくとも、半分ぐらいになったといいます。ハマグリは、大きいのは一つで500g、手のひらほどの大きさも珍しくなく、ヒラメも2kg程度は当たり前のようでした。

荒瀬ダムが建設される時には、誰もダムが川や海に影響があるとは想像もせず、行政の説明にも、「影響がなかならよかたい」「上流が水害で困っとんなら、仕方なかたい」と反対は何もおこらなかったといいます。ダムの建設予定は河川区間であるため、魚場を失うわけではありませんので、漁業補償は全くありません。

年々減少する漁獲に漁業者の危機感は相当なもので、「自分たちが絶滅期樹種」といいます。それだけに、2年後の荒瀬ダム撤去を楽しみにしていました。「例え、撤去により一時的に海に影響が出ても、我慢する。上からの栄養分と砂がそのまま海に届くなら、必ず良くなる」と。

実際、ここ4年間冬場3か月撤去に向けた準備のため、ゲートを全開してきました。それだけで干潟には確実に砂が増え、歩けなかった干潟もあるけるようになりました。

今年は十数年ぶりにタイラギが増え、市場にも出回りました。また、絶滅するのではないかと思われていたハマグリも大漁でした。ゲート開放との影響は否定できません。

県が財政難で撤去費用がないというなら、せめて「ゲートを全開してほしい」と漁業者はいいます。

11月6日「八代海を豊穣の海に戻せ!」という漁業者の悲痛な叫びは知事の耳に届いたのでしょうか。

今日の天気:sun

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月12日 (水)

11月22日(土) 八代市坂本町に集まろう! 

荒瀬ダムに対する思いを蒲島知事に届けよう!

 ◆荒瀬ダム撤去を実現する県民大集会◆

diamond日時:平成20年11月22日(土) 午後2時

diamond場所:八代市坂本町 グリーンパークさかもと

diamond主催:荒瀬ダムの撤去を求める会

後援団体:荒瀬ダム撤去を願う市民の会、八代漁協、やつしろ川漁師組合他40団体

集会実行委員長: 木村征男(旧坂本村村長)

問合せ: 荒瀬ダムの撤去を求める会 本田進 0965(45)2328
      美しい球磨川を守る市民の会 出水晃 0965(32)2261
          県民大集会・事務局 二見孝一 kfutami@ybb.ne.jp

▼集会チラシはこちらから

11月22日集会チラシ 表面  http://kawabegawa.jp/2008/20081122a.pdf
11月22日集会チラシ 裏面  http://kawabegawa.jp/2008/20081122b.pdf

▼会場の地図は下記にあります

> http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E5%85%AB%E4%BB%A3%E5%B8%82%E5%9D%82%E6%9C%AC%E7%94%BA%E5%9D%82%E6%9C%AC4228-12&lr=lang_ja&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=geocode_result&resnum=1&ct=title

みなさんの参加をお待ちしてますhappy01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダムが出来てからひどくなった水害(1)

ダム建設の前と後の水害・・・旧坂本村住民の聞き取りから             

 荒瀬ダムの下流にある坂本橋の袂、球磨川の右岸にHさんは荒瀬ダムが建設される前から住んでいます。現在の家は、荒瀬ダム建設後、1m程嵩上げされています。荒瀬ダム建設前から、1年に一度は浸水する水害常襲地でした。というより、害はありませんでしたので、水害常襲地という言葉は当てはまりません。

Hさんの家の前の道路は、昔県道と平行して、坂本駅から十条製紙に繋がるトロッコの線が走っていました。トロッコは、Hさんの家の前を通り、油谷川の合流点の前で、油谷川に沿って、右にカーブし、十条製紙までレールが引かれていました。Hさんの家は、旧坂本村の中では、比較的最後に浸水する場所でした。一番ひどいのは、油谷川との合流地点に位置する坂本地区(大字坂本)でした。Hさんの家が、1m程度浸水している時は、ここは2階まで浸水している、また、Hさんのところが1年に一度浸水しているときは、坂本地区は4~5回は浸水しているという感じです。

Kyuusakamotomura_2 現在は、坂本橋を渡った付近が一番の中心地になっていますが、ダムが出来たころは、この坂本地区が、一番にぎわっていた場所です。十条製紙に通う人たちが、買い物して変えたりするので、いろんなお店もここに集まっていました。また、坂本村内の旅館の半分はここにありました。といっても、4~5軒です。

 坂本の昔の家を見ると、殆どが2階建てです。これは、水害に対応するために、自然にそうなったようです。大事なものは、殆ど2階においていました。1回部分の畳の床板は、普通の家よりも厚めのもを使用してありました。柱なども、水に強い松が使用されることが多かったようです。

 空の様子や、水嵩の増え方で、浸水するかどうかは、時間も含めほぼ正確に予想できました。箪笥の引き出しをみんな出すと、丈夫な床板の上におき、テーブルや横にした箪笥を置くと、その上にまた丈夫な床板を乗せ、その上に畳や引き出し、家財道具を乗せます。

 2階部分まで来ると予想すると、殆どの家に作られていた、2階までの通路(1畳ほどの吹き抜け)を利用して、家財道具を2階に直接引き上げていました。階段を利用するのは大変だったからで、家によっては、滑車なども取り付けていました。

 また、家に対する抵抗を出来るだけ小さくするため、雨戸やガラス窓、障子などもみんな外しました。それを紐で束ねて、柱に結びつけ、水にプカプカ浮かせるようにするのです。水が引くのも昔はゆっくりでしたから、流されることはありませんでした。障子などは、水に浸かるときれいに紙が剥がれるので、あと貼りかえるのも楽でした。どこの家でも、正月に障子は貼りかえるのですから、坂本はそれを大水時にしていただけとHさんは笑っていいます。

 水が引く時に、残った砂を箒でササッと掃きだして、上げた家財道具をもとに戻します。「やはり大変ですね」と聞くと、「まあ、上げる時はみんな手伝いにくるので、さっと準備ができるが、片付けはどこに戻すかなど、やはり分かっている家のもんがしないといけないので、時間は上げる時よりかかった。しかし、そんなもんだと思っているし、駄目にするものはなかったので、傍らで見るほどではなかった」といわれます。また、きれいな砂は利用価値もあり、コンクリートを作るのにそのまま利用できるほどだったそうで、Hさんは川が運んでくれる恵の一つだったと言います。大水に対応できる知恵が長年の間にできており、被害を最小に食い止めていただけでなく、川のめぐみを得る機会と捕らえることができていたのです。

         

 荒瀬ダムが出来てからの、泥の堆積が如何にひどくなったかは、トロッコの線が一番良く分かるといわれます。昔は水が引けば、すぐトロッコが走り始めました。しかし、建設後は、上に泥が堆積し、重機を何日も投入して、経費も大変になったようです。十条製紙も、日常的に浸水するところに建設されていますが、紙は水に浸かっても、また再生紙として利用できていたので、被害額はそう対したものではなかったといいます。

Sakamotosuigaigo_3  一般の家も、ダム建設後は、堆積した泥の処理に一番悩まされました。普通で3050cm程、ひどいところは1mぐらい、それも家の中に貯まるのですから、たまったものではありません。また、水が引くスピードも速いし、量も多く、重たいので、一緒に掃きだすとこはできません。1日おくと、コンクリートのように固まってしまいますので、つかれた身体に鞭打って、泥の処理をしなくてはなりません。後の家財道具も使用は不可能になったといいます。荒瀬ダム建設後の出水は、「水害」となったのです。商売するところも、それまでは水は引くと、後片付けをしながらでもすぐ商売ができましたが、ダム建設後は何日も営業が出来なくなり、すべてを失ったところは商売そのものを諦めざるを得なくなりました。

 部落の中でも、裕福な人たちは、高いところに家を建て、個々で井戸を掘って暮らしている人もいたようです。水を得やすい川の近くに家を立てざるを得ないという事情があったにせよ、家も命も失うかもしれないところには、家を建てるわけがないでしょうという、Hさんの言葉は、大水と共に暮らせた昔を証明しています。 

 また、そこしか暮らす場所がなかったというより、2階まで毎年浸かるようなところが坂本村で一番の繁華街になっており、大きな工場も進出したということからしても-本当に驚きですが、洪水が被害を与えるものでなかったことの証です。現在、その地区は9mも嵩上げされています。

 現在、旧坂本村内には、未だに洪水に見舞われる地区が5~6箇所ありますが、どこも荒瀬ダム建設後特有の被害がでる洪水です。ダム建設後の洪水は、スピードも質も全く違うので、昔から伝承されてきた「大水と共に暮らす知恵」も何も約に立たないことは言うまでもありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

荒瀬ダムを検証するプロジェクトチームの最終報告

大幅に増えた撤去費用

10月1日に、熊本県庁内に荒瀬ダムの存廃を検討するプロジェクトチーム(PT)が設置されました。存続か撤去か今年中にか12月までに発表するという蒲島知事の判断材料を提供するためです。報告では、これまで企業局が試算していたより、大幅に撤去費用が増加し、撤去する場合と存続する場合の県の負担は53億円の開きがあるとしています。蒲島知事はこの報告書とこれまでの説明会や公聴会での意見や寄せられた意見書をもとに、総合的に存廃を判断するとしています。

■報告書の内容

これまで企業局が発表していた試算と今回のPTの試算では以下のように違いがあり、いずれも大幅にアップする結果となりましたが、存続する場合は九州電力が負担するので、県の負担は16億であると報告しています。

存続の場合、総事業費が企業局試算が72.1億が、PT試算では91.8億に、今後の支出額は51.5億は、71.2億に、県の実質負担額49.2億は68.9億になり、企業局の試算より19.7億増加しています。

存続の場合は、総事業費80.1億が87.3億、今後の支出額80.1億が87.3億、県の実質負担額8.8億は16.0億であり、企業局の試算より7.2億増加します。
結果として、撤去すれば存続より約53億県の負担か大きいと報告されています。

▼撤去と存続の場合の費用の内訳は下記にアップしています。<a href="http://www.mediafire.com/imageview.php?quickkey=oc2yy4vvjot&thumb=5" target="_blank">

また、撤去費用がないなら、せめてゲートを全開するべきという指摘に対し、PTは開門調査を行う場合の検証もしていますが、開門調査は「水利権の更新が前提であり、水利権の許可範囲内で行う必要がある。九電との契約の整合性や売電料金で回収できない費用負担が発生するなど解決困難な課題が多い。また、調査費用、メンテの費用がかさむ。」と報告し、難色をしめしています。

■PTおよびその報告書の問題点

  1. 構成メンバーは県庁の職員だけで構成されており、客観性が担保されていない
  2. 混成メンバーは、河川課、財務課、企業局だけからだけであり、水産や環境に関する部署の職員が入っていない。従って、主に財政の視点からだけの検証になっていて、環境面の検証は全く行われていない。
  3. 検証の対象とした資料やデータの内容が公表されておらず、結論の根拠が不明である。
  4. わずか1ヶ月間の検証期間は十分であるといえない。

知事の判断材料はこれまで寄せられた意見やこの報告書です。ダムが環境に与える影響やその対策について、研究者の意見を予定は今のところありません。また、住民の意見や提案も聞き置くことにとどまっており、PTの検証にどの程度反映されたのか不明です。50年間住民や漁業者が見てきた事実を調査・検証せずに、わずか1か月で判断するのには大変な無理があるといえます。せめて、数年の開門調査をして結論を出してほしいものです。

今日の天気:sun

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月11日 (火)

荒瀬ダム撤去を実現するために

こんにちは。

2年後に決定していた球磨川の荒瀬ダム撤去は、今年6月4日に蒲島知事が突然の撤去凍結を宣言しました。最終決断は11月の終わりに行うと発言、熊本県庁内にプロジェクトチームを作り、存続と撤去の双方の側面より検証を重ねてきました。今日の県議会経済常任委員会で、報告される予定です。

この報告と、これまでの説明会や公聴会で住民から出された意見書など参考に最終判断される予定ですが、熊本県の財政難を理由に、撤去を取りやめるという見方が多く、私たちは危機感をもってみています。

最終決断まで、1か月もありませんが、荒瀬ダムの現状をはじめ、球磨川や不知火海が抱える問題や現状を少しでも皆様にお伝えしたいとこのブログを始めました。

■荒瀬ダム問題とは

Dsc00784

写真が荒瀬ダムです。八代市の球磨川河口より約15kmの坂本町に昭和29年に建設された高さ25m、幅210mの発電専用ダムです。

建設当時は戦後の電力事情もあり、ダムが環境に与える影響も全く知られていませんでした。「ダムができると電気代がただになる」「観光客が押し寄せる」「水害がなくなる」と説明され、建設地の旧坂本村(現在、八代市坂本町)が村民が一致団結して、家屋の移転を含め、協力し、建設からわずか2年足らずで完成されます。

しかし、建設後返って増える水害や放流時の振動被害、漁獲量の減少に、流域住民や漁業者はダムが決して、夢のダムではないことを思い知らされることになりました。

そして、50年間の水利権の更新をきっかけに撤去運動がおこりました。その結果、平成14年12月、7年間に撤去することが決定しました。撤去工法も決定し、2年後に迫った撤去を流域住民は楽しみにしていました。

しかし、今年6月4日、就任したばかりの蒲島新知事が突然に撤去凍結発言をしたことにより、住民の凍結反対運動は広がりを見せています。

▼荒瀬ダムに関する熊本県企業局のホームページhttp://www.pref.kumamoto.jp/construction/section/kigyoukyoku/index.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2008年12月 »